村田兆治投手には思い出がある。
小学生の頃、昭和58年とか59年頃だったか。
同級生が村田兆治からサインをもらったと自慢していた。
聞くと家を訪ねてサインをもらったという。
家は僕らが野球をしている広場(元々は大学の農場だったところ)のそばだという。
昭和50年代のパリーグ、しかもロッテの投手といわれてもピンとこなかったが、本物のプロ野球選手に会ってみたい気持ちがあったので自分も訪ねてみた。
「村田」という表札の白い家のインターホンを押すと奥さまと娘さんがドアを開けてくれた。
村田投手に会いたいと伝えると
ごめんなさいね、今いないのよ
と奥さまに言われ
今、広島に行ってるの
と娘さんに言われた。
娘さんはそのときでオレより2つか3つくらい下にみえた。
結局、村田兆治本人に会うことはできなかったが奥さまと娘さんにはお会いした。
ひじの手術から復活して「サンデー兆治」と呼ばれたのは昭和60年のこと。
テレビでとりあげられるようになって初めて村田兆治という野球選手のことを知った。
顔も知らないのにサインをもらいに行ったんだから、オレもヒドいね。
年齢を重ねるにつれプロ野球についても知識を得ていき「マサカリ投法」を知る、ドラフト1位であることも知る。
平成2年の引退時には「昭和生まれの明治男」といわれ奥さまにもスポットが当たった。
先月だったか、村田兆治逮捕のニュースを知ったとき、サインをもらいに行ったエピソードを書きかけた。
逮捕とはいえ、暴力を振るったとはいえ、悪意があったというよりは気が短かったのではないかと思っていた。
暴力は暴力でも殴った蹴ったというよりは肩を押したということだった。
それまでは60歳過ぎても130kmのストレートを投げると良い話題になっていたけど、逮捕で悪い話題になるのはさすがに寂しい気持ちになり書きかけた記事をやっぱし削除した。
それからたったのひと月あまり。
練習に身が入らずに遊んでいた若き日の村田兆治が心を入れ替えるきっかけとなった大先輩小山正明はまだまだ元気でいるというのに。。。
あまりに突然すぎる展開。
ただただ、さみしいね。
合掌。

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