1945/08/15 皇居前広場
2025/08/13 皇居前広場
自分もここに正座してみる。
飢え、恐怖、熱、苦しみを経験していない人間が正座してもどうともならなかった。
80年前、集まった人々はいかばかりの気持ちでここに正座されたのか。
正しいと思っていた戦争を唐突に終了を告げられ得も言われぬ悲しい気持ちでここに正座したのだろう、正座をして首を垂れるしかなかったのだろうと推測する。
耐え難きを耐え、忍び難きを忍び・・・
今、聞くとそれは終戦を国民に伝えるための放送だと分かったうえで聞くことができるが。
ウチの祖母も玉音放送を聞いたそうだ、が・・・何を言っているのかよくわからなかったそうだ。
それはラジオの音の問題だったのか、話が長くて難しい言いまわしがわからなかったのか。
神聖なる天皇陛下の初めての肉声に戸惑ったのか。
40年前の8月の各局のテレビドラマは戦争を扱ったものが多く、子供ながら、今年もこの時期が来たと感じていた。
でも昨今は「忘れてはいけない」といいながらもあまりやらないね、とくに民放では。
見る、聞く、じっくりと長年にわたって考える。
ただ「戦争はいけない」と平べったく考えるのではなく、何故いけないのか、いかに惨く、苦しく、悲しく、空しいのかを立体的に考えていきたい。
戦争が正しい世の中に生きれば戦争は正しいと思って生きる、生きざるを得ない。
戦争は誤っている世の中に生きているので戦争は誤ったことだと思って生きている。
そして、戦争反対の絶対的な理由を考え続けたい。

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